山形県村山市「父母報恩寺」に思いを寄せる!

村山市文化財を2つ持つ「父母報恩寺」についてちょっと調べ物をした。
自分は研究者や学者ではない単なる興味本位の野次馬である。
市の文化財の話しではない。
いつだったかカメラを持って「父母報恩寺」を訪れ、本堂入口の写真を撮ったことが事の始まりだった。

 

JR村山駅から南東方向(道のり1.5kmほど)

 

 

まず歴史を見よう。

www.dewatabi.com


山形県の町並みと歴史建築」
村山市:父母報恩寺
父母報恩寺(村山市)概要: 父母報恩寺は山形県村山市楯岡笛田3丁目に境内を構えている浄土宗の寺院です。父母報恩寺の創建は明治36年(1904)、岩手県盛岡市に境内を構えた菩提院が荒廃した為、松岡白雄上人が名跡を引き継ぎ、明治39年(1907)に開山しました。境内にある「雪の観音」は昭和10年(1903)に雪害問題の先駆者だった松岡俊三が建立しました。御堂は奈良にある唐招提寺を模したもので建物の下地中には釈迦が誕生した地土塊を納めているとされ本尊として恵心僧都(1602~1677)が彫り込んだとされる聖観世音菩薩を祀っています。
又、父母報恩寺見生庵の本尊である銅造阿弥陀如来座像は正徳5年(1715)、京都出身の仏師釜座和田信濃掾が監修し山形出身の鋳造師によって鋳造されたもので座高1.82m、全高2.3m、当初は本覚寺末寺である見生庵念仏堂の山居学翁上人の発願により鋳造されたものでしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により見生庵が廃寺となり、それに伴い明治11年(1878)に本覚寺に移り、さらに大正時代に入り父母報恩寺の境内に見生庵を再興した際、その本尊として迎え入れました。
銅造阿弥陀如来座像は昭和34年(1959)に村山市指定文化財に指定されています。寺宝である木造阿弥陀如来座像は藤原期に製作されたもので、像高44.5cm、座高52.0cm、昭和48年(1973)に村山市指定有形文化財に指定されています。宗派:浄土宗。

 

 

村山市文化財より

www.city.murayama.lg.jp


銅造阿弥陀如来座像

 

木造阿弥陀如来座像

 

 

 

「父母報恩寺」

 

 

 

 

 

 

 

先の「山形県の町並みと歴史建築」村山市:父母報恩寺 の中には書いてなかったのだが、本堂の建築様式がちょっと珍しいものである。

その特徴
特徴である扇垂木と尾垂木(天狗垂木)。
屋根は見ての通り2重の屋根造り。

 

 

拡大
天狗の鼻のように反った垂木が飛び出す造り、尾垂木(天狗垂木)。

 

 

 

日本の建築様式は大きく3つあったらしい。

www.hineriman.work


和様(わよう)   日本の昔ながらの神社の建築様式
大仏様(だいぶつよう)   大仏殿用の建築様式
禅宗様(ぜんしゅうよう)    寺院用の建築様式
各様式が混ざり合った折衷様(せっちゅうよう)の建築も数多く存在。

 

父母報恩寺の建物の特徴には「禅宗様」の尾垂木や屋根2重構造が大きく出ている。
しかし、国宝級の「禅宗様」とは少し違っている。

 

 

禅宗様」の例として国宝の東京都 地蔵堂(正福寺) を見てみよう。
屋根の形状が「反っている」。
下は土間になっている。
正面入り口には何の屋根構造もない。

 

特徴である扇垂木と尾垂木(天狗垂木)
天狗の鼻のように反った垂木が飛び出す造り。

 

「尾垂木(天狗垂木)」 

 

 

 

父母報恩寺はこのようにオリジナルな「禅宗様」にいろんな様式が取り入れられた折衷様(せっちゅうよう)の建築と思われる。
とにかく「尾垂木」の天狗の鼻のように飛び出す垂木と2重の屋根構造は「禅宗様」の大きな特徴である。

 

自分が興味を持ったのは実はこれだけではない。
本堂の階段入口にある(アーチ)屋根の下に飾り物の彫り物があるのだが、右は「龍」、左が「不明の獣」なのである。
実はこの「不明の獣」が父母報恩寺に興味を持たせた張本人である。

では紹介しよう。

 

 

右は「龍」

 

左は「不明の獣」?
龍と対等に正面左に置かれる獣とは?
木彫りに「ウロコ」が彫ってあるのが1つの特徴!

 

伝説では、
竜生九子(りゅうせいきゅうし)とは、中国の伝説上の生物で、竜が生んだ九匹の子を指す。それぞれ姿形も性格も異なっている。各々の性格に合わせた場所で各々の活躍を見せるが、親である竜になることはできなかったという。これを「竜生九子不成竜」と言う。また、兄弟でも性格が違う事を指してこの言葉を用いることもある。

 


こんな話を聞いては野次馬根性がウズウズ!
次回この辺を探ってみたい。