「竹取物語」の深~い謎? かぐや姫教えて!

一般的に「竹取物語」は、平安時代前期に成立した日本の物語。
「現存する日本最古の物語」とされている。
作者は不明で、正確な成立年も未詳である。

 

さて「物語」とは何ぞや?
下の「あすなろ学院(進学塾)」で探ってみた。

 


あすなろ学院」 仙台市および近郊の総合進学塾。

www.asunarogakuin.jp

 

物語と小説~辞書から~
火曜日ですお久しぶりです中村です(無季・字余り)
「毎週読んでいます」と、声をかけてくださる生徒みなさんの数が多くなってきました。ありがたいです。「長いけど」という枕詞ももれなくついてきますけど・・・
というわけで、最近は特に前置きが長くなる傾向がありますので、すぐに本題から。

物語と小説の違いについて語り手ぇ(この言葉、よく覚えておいてください。来週のキーワードです)ということで、今回はその2つのジャンルの違いについて、話をしていきます。
みなさんは、小学生までの国語の問題集や塾のテキストには「物語文の読解」とかなんとか書かれていたものが、いつのまにか「小説の読解」にすり変わっていた、なんていう経験はありませんか。そして、どこからどこまでが物語で、どこからどこまでが小説なのか。その2つに明確な区分はあるのかと疑問に思ったことはありませんか。
仮になくても話は続けます。
まず、物語についてですが、そもそも読んで字のごとく、「物を語る」ことから来ています。辞書を引いてみても、


① さまざまな事柄について話すこと。
② 特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。
③ 文学形態の一。作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。
(『大辞泉』より 強調は中村)

 

簡単に言えば、「ただのお話」です。「誰かが何かをして、どうなって、何かがこうして」といったような、連続性を持つ出来事の箇条書きといってもよいです。これらの出来事は時系列でつながります。換言すれば(酸化もするかも)、「そして」でつながる時系列による構成とも言えます。そして(!!!)それは、「ストーリー」と呼ばれることもあります。

それに対して小説ですが、これもまた、辞書を引いてみましょう。
① 文学の一形式。特に近代文学の一ジャンルで、詩や戯曲に対していう。作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。
(『大辞泉』より 強調は中村)

 

こちらは、
近代文学の一ジャンルであること
② 作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを興味ある虚構の物語として表現していること

 

の2点に注目していきましょう。①に関しては、もともと「小説」とは、英単語のnovelの訳語であって、坪内逍遥がその訳語をあてたとかなんとか、知識をひけらかしたい方もいるでしょうが、まあどうでもいいです。しいて言うならば、「近代」文学の一ジャンルであることには留意しておく必要があります。

 

②が重要で、物語との決定的な違いになります。物語はただ語られるだけであって、出来事の連続に注目されますが、小説では、「作中の人物・事件」などを通して、あるものごとの姿を表現しているというわけで、ただ単に出来事が連続するわけではなく、出来事と出来事のつながりや関係性が重要になってきます。この出来事と出来事のつながりや関係性のことをプロット、と呼ぶこともあります。

辞書的な意味をさらったところで、わかったような、わからないような、結局よくわかりません。さらに語るべきことは多くあるのですが、中村のブログネタ確保の観点から(紙面の都合上)、今回はここまでにしておきます。(心の声が出てしまっていますね…)

今週の話をまとめると、結局こういう感じですね。

「王様が死に、それから王妃が死んだ」といえば、ストーリーですが、「王様が死に、そして悲しみのために王妃が死んだ」といえばプロットです。時間の進行は保たれていますが、ふたつの出来事のあいだに因果関係が影を落とします。あるいはまた、「王妃が死に、誰にもその原因がわからなかったが、やがて王様の死を悲しんで死んだのだとわかった」といえば、これは謎を含んだプロットであり、さらに高度な発展の可能性を秘めたプロットです。それは時間の進行を中断し、許容範囲内でできるだけストーリーから離れます。王妃の死を考えてください。ストーリーなら、「それから?」と聞きます。プロットなら「なぜ?」と聞きます。これがストーリーとプロットの根本的な違いです。
E.M.フォースター 『小説の諸相』 より)

 

 

 

 

自分は「竹取物語」とは「口伝」の話しだと思う

 

前出の「物語」の意味。
② 特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。

 

作者不明で、正確な成立年も未詳である事からも、古くから伝えられた口伝だと思う。
自分がこれを言う理由は下記の事がある。

 

1.日本には古来「満月」を愛(め)でる風習がある。


日本古来より続く月を愛でる風習「お月見」は、十五夜である中秋の名月に、収穫の喜びを人々と分かち合うものとされています。 その習慣にはススキを飾ったりお月見団子を食べたり、旬の収穫物をお供えをするなどがあり、現代でも続いています。 

2.日本では月には「うさぎ」が居るということで親しみを持っている。

 

 

これに対して「竹取物語」の「最後」の内容は、


1.日本の帝(みかど)の家来達が月の迎えに歯向かおうとしたが全く無力だった。


2.別れ際「かぐや姫」は「羽衣」によって「まるで別人になった」かのようにそそくさと去って行く。


3.翁たちの願いもかなわず「かぐや姫」は結局、月へ連れ去られてしまうという結果。


4.「かぐや姫」の残した「不老不死の壷」などは、帝は富士で「焼いて」、バカにするな!との意志を示した。

 

 

現在の日本の文化と全くそぐわない内容に驚くのである。
もし(話を作った)作者が居るとしたら、この内容は「日本人として異常すぎる内容」なのである。
これは作り話などではなく「事実を古くから口伝で伝えられたもの」と考えるのが最もな答えと思える。
もし作者が居るとしたなら「強大な念動力」を当たり前に使う「月の王」をどうして書けたのかと不思議に思うのである。
作者がこの「念動力」を発する現場の状況を詳細に書けるとはとても思えない。
普通の我々の考える「念力」とはまるで違う現場状況を的確に書いているのである。
たとえば「動け」で「個別のもの」動かすのでは無いのである。

かぐや姫出てきなさい」で「関連する戸締り物が一斉に勝手に開く」のである。
あれこれと動くものを指示するのではなく、「状況を欲する状況にすべく関連物が自ら勝手に動く」のである。


このような「念動力」を使う事は「月の王」である証(あかし)である。
「月面の山もよけるという王の力」なのである。


我々の想像を遥かに超えているのである。
現代もののアニメでもこのようなものはまず登場しない!
作者がこの「念動力」を想像で書けるハズが無いのである。

 

 

竹取物語 最後の部分 現代語訳」

 

 

(現代語訳)


これを聞いて、かぐや姫は、「閉じ込めて、守り戦うべき準備をしたとしても、あの国の人を(敵として) 戦うことはできないのです。弓矢で射ることはできないでしょう。 このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまうでしょう。合戦を挑もうとしても、あの国の人が来たならば、勇猛心をおこす人も、よもやありますまい」
翁の言うことには、
「お迎えに来る人を、長い爪で眼球を掴んで潰そう。そいつの髪を取って、ひきずり落そう。そいつの尻を掻き出し、多くの役人に見せて、恥をかかせよう」
と腹を立てている。
かぐや姫が言うことには、
「大声でおっしゃいますな。 屋根の上におる人々が聞くと、ひどくみっともないことです。 これまでかけていただいた多くの愛情をわきまえもしないで、お暇申し上げることが、悔しう存じます。 長い宿縁がなかったので、間もなくお暇しなければならないようだと思って、悲しうございます。 親たちのお世話を、少しもいたしませんで、月へ帰る道中も心安らかでもないでしょうから、近頃、縁側に出ていて、今年限りの猶予を申し上げたのですが、 決して許されないために、このように思い嘆いているのでございます。 お心ばかりを困惑させて去ってしまうことが、悲しく堪え難うございます。 あの月の都の人は、たいへん美しく、 年を取りません。思い悩むこともないのでございます。そのような所へ帰りましても、望ましくございません。 老い衰えていらっしゃる様子を見て差し上げられないことこそ、恋しく思われるでしょう」
と言って、翁は、
「胸が痛くなることをおっしゃらないでください。 端正な姿をした使者にも、 妨げられまい」
と、いまいましく思っている。

 

(現代語訳)


こうしているうちに、宵も過ぎて、夜中の十二時頃、家のあたりが、昼の明るさ以上に光った。満月の明るさを十倍したぐらいで、そこにいる人の毛穴さえ見えるほどである。 大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺ぐらい上がった所に、立ち並んだ。
(家の)内外にいる人の心は、魔物に取りつかれたようで、一緒に戦おうとする気持もなかった。 ようやく奮起して、弓矢を取ろうとするけれども、手に力もなくなって、ぐったりと物に寄りかかっている者の中で、気丈な者が、我慢して、矢を射ようとするけれども、他の方向へ行ったので、激しくも戦わないで、気持がただぼんやりするばかりで、見つめ合っている。
立っている人たちは、衣装の美しいこと、 他の何物にも似ていない。飛ぶ車を一つ持って来ている。 薄絹で張った天蓋を差しかけている。その中に王と思われる人が、家に、
「造麻呂、 出て来い」
と言うと、強気であった造麻呂も、何かに酔ったような気持がして、うつ伏せに伏せている。(天人が) 言うことには、
「お前、未熟者。 少しばかりの功徳を翁が作ったことによって、お前の助けにしようとして、ほんのわずかな間ということで、 (かぐや姫を)下したが、 長年の間、多くの黄金を下賜されて、別人のように(富裕に)なった。 かぐや姫は、罪を犯しておられたので、このように身分の低いお前のもとに、 しばらくいらっしゃったのだ。罪の期限が終わってしまったので、このように迎えに来たのに、翁は泣いて嘆く。 (これ以上、かぐや姫とともに暮らすのは) 不可能なことだ。早くお返し申し上げよ」と言う。


(現代語訳)


翁が答えて申す。
かぐや姫を養い申し上げること、二十年余りになりました。(それを) 少しの間とおっしゃるので、訳が分からなくなりました。 また別の所に、かぐや姫と申す人がおいでになるのでしょう」
と言う。
「ここにおわすかぐや姫は、重い病気をなさっているので、とても出ていらっしゃれないでしょう」
と申し上げると、それに対する返事はなくて、屋上に飛ぶ車を寄せて、
「さあ、 かぐや姫。 穢(けが)れた所に、どうして長くいらっしゃるのですか」
と言う。 閉じ込めてある場所の戸が、即座に、ただ完全に開いてしまった。 格子戸なども、人はいない状態で開いてしまう。 嫗が抱いていたかぐや姫は、外に出てしまった。引き止めることができそうもないので、ただ仰ぎ見て泣いている。
竹取の翁が惑乱して泣き伏している所に近寄って、かぐや姫が言う。
「私も、心ならずもこうしてお暇するのですから、せめて天に昇るところだけでも見送ってください」
と言うけれども、
「どうして、悲しいのに、お見送り申し上げましょう。私をどうしろといって、捨てて天にお昇りになるのですか。 一緒に連れて行ってください」
と、泣いて伏せているので、(かぐや姫も) 御心が乱れてしまった。
「手紙を書き置いてお暇しましょう。 恋しく思われる時々に、取り出して御覧ください」
と言って、泣いて書く言葉は、
この国に生まれたというのならば、(お二人を)嘆かせ申し上げない時期までおそばにいるべきですが、(そのような生まれではなく、 月の者である私は、 本国に帰るために) お別れしてしまうことは、返す返す不本意に思われます。 脱いで置く着物を形見として御覧ください。 月の出ているような夜は、こちらを御覧になってください。 お見捨て申し上げて去って行く空から落ちてしまいそうな気がします。
と書いて置く。


(現代語訳)


天人の中に持たせている箱がある。天の羽衣が入っている。また一つある箱には、不死の薬が入っている。一人の天人が言うには、
「壷にあるお薬を召し上がれ。汚い場所の物を召し上がっていたので、御気分が悪いはずでしょうよ」
と言って、持って近寄ったので、(かぐや姫は)ちょっとお舐めになって、少し形見として(残していくために)、脱いで置く着物に(不死の薬を)包もうとすると、そこにいる天人は包ませないで、天の羽衣を取り出して着せようとする。その時に、かぐや姫は、
「しばらく待て」
と言う。
「天の羽衣を着せ(られ)た人は、心が普通の人とは違ってしまうのだという。一言物を言っておかなければならないことがあった」
と言って、手紙を書く。天人は、「遅い」と、じれったく思っていらっしゃる。かぐや姫は、「訳の分からないことをどうかおっしゃらないで」と言って、たいそう物静かに、帝にお手紙を差し上げなさる。あわてていない様子である。
このように大勢の人をお遣わしくださって、引き留めなさいますけれど、(それを)許さない迎えがやって来て、捕えて連れて行ってしまいますので、残念で悲しいことでございます。宮仕え申し上げなくなってしまったのも、このように面倒な身でございますので、(陛下は)納得いかないとお思いあそばされたでしようけれども、(私が)強情に承知申し上げませんでしたことを、(陛下が)無礼な者と思い留めなさってしまわれるであろうことが、気がかりでこざいます。
と書いて、
今はこれまでと思って、天の羽衣を着る時です。陛下をしみじみと思い出しておりますと歌を詠んで、壺の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて(帝に)献上させる。中将に、天人が取りついで渡す。中将が受け取ったので、さっと天の羽衣を(かぐや姫に)お着せ申し上げると、翁を「気の毒だ、いとおしい」とお思いになっていたことも失せてしまった。この羽衣を着てしまった人は、思い悩むことがなくなってしまうのであったので、車に乗って、百人ほどの天人を連れて、天に昇ってしまった。


十 富士山の煙(現代語訳)

 

その後、翁と嫗は血の涙を流して思い悩んだが、どうしようもない。あの書き残した手紙を読んで聞かせるけれど、
「何をしようというために、命も惜しかろう。誰のためにか。何事も無用だ」
と言って、薬も飲まず、そのまま起き上がりもしないで、病気になって伏せている。中将は、人々を引き連れて宮中に帰参して、かぐや姫を戦って引き止めることができなくなった事態を、こと細かに奏上する。薬の壺にお手紙を添えて献上する。(帝は)広げて御覧になって、ひどく感動なさって、食べ物も召し上がらず、管絃の御遊びなども行われなかった。
(帝は)大臣や公卿をお呼びになって、
「どの山が天に近いか」
と御質問なさると、ある人が奏上する。
駿河の国にあるという山が、この都も近く、天にも近うございます」
と奏上する。
(帝は)これをお聞きになって、(かぐや姫に)逢うこともなく、悲しみの涙に浮かぶ我が身には、不死の薬も何の役にも立たない
あの方(かぐや姫)が献上した不死の薬に、また壺を添えて、御使者に下される。勅使には、つきのいわかさという人をお呼びになって、駿河の国にあるという山の頂上に持って置くようにということをお命じになる。その山頂でするべき方法をお教えになる。お手紙と不死の薬の壺を並べて、火をつけて燃やすようにということをお命じになる。その方法を承って、兵士どもを多数引き連れて山へ登ってから以降、その山を「富士の山」と名づけたのである。その煙は、いまだに雲の中へ立ち昇ると言い伝えている。

 

おわり